朝鮮国王として冊封

対外的には明の永楽帝から朝鮮国王として冊封を受け、対明関係を良好にした。

1418年、太宗は王世子に冊封となった長男である譲寧大君が勉強せずに一日中家出して遊んでばかりいるという理由で、三男である忠寧大君を王世子に冊封した。

そして2カ月後に世宗に王位を譲って上王となったが、王権の安定のために兵権はなおも握り続けた。

1419年、朝鮮軍が対馬国に攻め込んだのはこの太宗の命令によるものである。

1418年、世宗の義父・沈温の末弟・沈ジョンが太宗がまだ兵権を掌握している行為に不満を抱いて「命令が二つの場所から出ている」と兵曹判書・朴習に言ったが朴習がこの言葉を太宗に知らせると沈ジョンは逮捕、拷問され、沈温が裏方に指目された。

太宗は当時、明に使臣として赴き、帰国途中であった沈温を逮捕して賜死させた。

この事件は国王の義父として権力が強まることを心配して太宗と朴習が事件を操作したという事実が後で明らかになった。

1422年、55歳で崩御した。太宗は崩御する際、当時国に大旱魃が発生して民たちの苦痛がひどくなることを心配。
update:2010年02月22日